生きて!
辛かったら
わからなくなったら
だれかに話してみて
だれかに頼ってみて
弱くていいんだよ
だから
あなたも
話してみて
頼ってみて
そして 生きて! 当寺住職
もうだいぶん前のことですが、死との境界が曖昧になってしまった何人かの方と話しました。
Aさんは、自傷行為を繰り返し何度か救急車で運ばれました。
Aさんとは生き方のこと、家族のこと、自傷行為をするわけなどいろんな話をしました。
Bさんと話し別れる時、「この部屋出たら死ぬかもしれません」といいます。
私は言いました。「明日もう一度ここで話そ。それまで死なないと約束して」と。
次の日、来てくれました。その次の日も。
わけもなく死にたくなることがあります。いじめや辛い出来事にあって死んでしまいたくなることがあります。9年間不登校だった子。カバンや机を窓から放りだされた子。シンナーが止められない子。
今思い出しても心が痛みます。
その子たちは、今、大人になっています。結婚した人、子育て中の人、仕事をしている人、
勉強している人、今もしんどい人、でも生きてる、支え、支えられながら・・・
死との境界を彷徨っていたともいえる彼・彼女らが境界の向こうに行かなかった理由の一つは、
話のできる友達や大人がいたからではないか。
だから、今、苦しんでいる人、しんどい人、だれかに話してみて。
「聞いてくれる?」って。人って見捨てたもんじゃないと私は思うのです。
話を聞く立場になった人は、ただ話を聞いてあげて。アドバイスはしなくていい。
一緒にいてあげて。それだけでいい。
それもできない時は目を離さず見守ってあげて。
それでも、それでも境界の向こうへ行ってしまう人もいます。
階段を踏み外すように、何かに引かれるように。そうなると止められない気もします。
死と生の境界が曖昧になってしまうといえばよいのでしょうか。
その時、家族であっても相互に絶対他者であることを思い知らされます。辛いことです。
だから、境界の向こうにいってしまった人の近くにいた人に言いたい。自分を責めないで下さい。
あなたの責任ではないのですから。
*プライバシー保護のため、趣旨が伝わる範囲で手を加え一般化しています。