[暮らしの中の浄土真宗2]万博が残したもの
関西万博が幕を閉じました。私は4月と6月の2回、妻に連れられて行きました。
映像とリアル
どこが良かったかとよく聞かれるのですが思い出せないのです。年のせいにしたくなかったので考えた結果、パビリオンの多くが映像展示だったからではないか、と妻と納得し合っています。
見ている時はすごいと思うのですが、時間がたつと忘れてしまう。ささやかであっても、その国の人がパーフォーマンスをされたところは覚えているのです。リアルとバーチャルの違いはこういう所にもあるのではないでしょうか。
大屋根リンクもいいけど・・・
さて、「万博が残したもの」は、人によって評価が違うでしょう。大屋根リンクが一番? 確かにあれは良かったですが、わずか半年のイベントにあれだけの森林を伐採するのは如何なものかとも思いました。終わってからではなく、最初から再利用を踏まえた設計なら、SDGsに適った取り組みだったのにと思います。
ミャクミャク 私は、キャラクターのミャクミャクに一票投じたいです。私が唯一自分のために買った土産がミャクミャクです。
最初に見た時、「ちょっと気持ち悪いな。なぜこれが公式キャラクターなんだろう」と思いました。ひこにゃんのほうがよっぽどかわいいと。結構同じ意見が多かったと思います。私の孫も最初は「気持ち悪い」と言っていたくらいです。
ところが、日が経つにつれて「キモカワ」と言われ出して、人気急上昇。終盤には、ミャクミャクグッズが爆売れし、評判は大逆転しました。
すり込まれた〝かわいさ〟
ではなぜ最初気持ち悪いと感じたのかと考えると、単に未知の姿というだけではなくて、
〝異形(いぎょう)〟がその理由ではないかと思うのです。異形というのは、人間と同じように目も手も足もありながらその形状が異様だということです。それが、私たちの〝かわいさ〟と相容れないのです。小さい子どもでも、既成の〝かわいさ〟をすり込まれて先入見になってしまっているのでしょう。
子どもはさておいても、私たちも異形さに目を奪われ、すり込まれた先入見に気ずかないというか、とらわれてしまってるのでしょうね。
先入見に執着する私〝
これを仏教では〝執着(しゅうじゃく)〟と呼びます。まさに私がそうでした。これが見た目で人を判断する偏見や差別にもつながっていくのだと思います。
話は変わりますが、若者のファッションにはついていけません。お尻からシャツ出てるよとつい言いたくなります。正直、だらしないと思ってしまいます。それが自分の先入見であり、執着だとはなかなか思えません。それを教えてくれたのがミャクミャクでした。だから、お土産に買って帰りました。関西万博が残してくれたもの、それはミャクミャクでした。
ミャクミャクは私にとっては仏様の化身かもしれません。

