こころの散歩道
蝉は分別(ふんべつ)しない
蝉に聞いてみた。
土中の七年間と地上の七日間どちらがよかったかと。
蝉が答えた。
そんな違いがあったのか! と。
当院住職
蝉は、長い地中生活に対して、地上ではわずか一週間、長くても一か月ほどしか生きられないそうです。だから蝉はかわいそうだと私たちは思っています。いのちの儚さの喩えに蝉はよく登場するのはそのためでしょう。
でも、それは人間の勝手な思い込みではないかと語るのが詩人の木村信子さん。
せみはたった一週間の命のために
永い年月、土の中で暮らさなければならない、というけれど
土の中の年月こそ、せみの本当の命のよろこびなのかもしれない
地上のよろこび、なんて思うのは人間のかってな想像だ
なるほど一理あります。が、これもまた人間の勝手な思い込みと、蝉に言われるかもしれません。 なぜなら、土の中と地上を区別して、どちらがよいかと考える発想自体は同じだからです。
人間は、なんでも分けて、比較して善し悪しを決めたがります。これを分別(ふんべつ)と言います。土中がいいか地上がいいかというふうに。究極は生と死。生は善、死は最大の悪であり敗北。これが人間。蝉はそもそも何も分けないのではないでしょうか。土中と地上も、生と死も、そして、自分と世界も。すべてが一つ。それが蝉だ、といわれそうです。これは、仏様の目線・無分別智(むふんべっち)に近い気がします。