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[歴史]親鸞聖人の生涯①

ぶつブツブログでは、仏教の視点を大切にしながら、様々なテーマについて語ります。今回から[歴史]シリーズとして「親鸞聖人の生涯」をスタートします。お読み頂けると幸いです。

親鸞聖人は承安(じょうあん)3年(1173)、現在の京都市伏見区の日野でお生まれになったと言われています。誕生年の記録はありませんが、84歳の時の直筆の書き物が現存していて、そこに書かれた年月日から逆算して、誕生年がわかります。
 ここではまず、聖人誕生の時代背景を政治、宗教、社会の視点からみていくことにします。
 なお、以下で「聖人」とだけ記載しているところは親鸞聖人を指しています。


(1)公家政権から武家政権へ

 聖人が生まれられた平安時代の末期は、政治の実権が公家から武家に移る大変動期でした。その様子を、世紀ごとに大まかに見ておきます。

〈9世紀〉天皇親政から公家政治へ
 桓武天皇が794年に平安京を造営し、天皇中心の政治が続きましたが、次第に政治の実権は公家へと移っていきました。

〈10世紀〉摂関政治
 公家の中でも藤原氏は天皇と姻戚関係をつくって摂政や関白となり、政治の実権を握りました。10世紀末から11世紀、藤原道長、頼通の時代がその全盛期でした。

〈11世紀〉武士団の登場
 10世紀後半から地方では、国司の子孫や豪族が力をもたげて武士団を形成するようになりました。畿内でも豪族が武官として朝廷や貴族の警護、宮中の警備にあたるようになり次第に力をつけていきました。
 東国で起こった前九年合戦(1051~1062年)、後三年合戦(1083~1087年)では、国司に反抗した豪族を源頼義や義家が鎮圧して東国武士団の棟梁となっていきました。

〈12世紀〉武家政治の誕生
 この頃になると、都でも戦が起こるようになりました。保元・平治の乱(1156・1159)がそれです。天皇や上皇、藤原一族が二派に分かれて主導権を巡って争いました。その際、両派とも武士の武力に頼ったため、武士の力が一段と強まりました。
 その筆頭が平氏と源氏でした。平治の乱で源義朝を打ち倒した平清盛は、後白河上皇の信頼を得て太政大臣にまで上り詰めました。
 しかし、平家の専横は反感を招き、源頼朝を筆頭とする源氏一族が挙兵し、平家を壇ノ浦に滅ぼしました。文治元年(1185年)、聖人十二歳の時のことでした。

 次回は、「(2)仏教の受容と変貌」についてお話しします。

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