「宇宙」的視点
大人になる
ということは
子どもの時にもっていた
素晴らしい宇宙を
忘れることではないか
河合隼雄 『子どもの宇宙』
この言葉は『子どもの宇宙』という本からの引用です。「世界」というと平面的ですが、「宇宙」というと立体的というか、未知の奥深さを感じます。子どもは未熟な存在という見方が一般的ですが、大人が忘れてしまった世界、大人の理解を超えた世界に触れているということを「宇宙」という言葉で著者は伝えようとしたのではないでしょうか。
私の孫が2歳のころ、台所の奥で物音一つ立てずに何かしていました。そおっと覗くとキャベツの葉に囲まれながら、むき続ける小さな科学者がそこにいました。私たちにとってキャベツは食材以外の何物でもありませんが、孫にとっては未知との遭遇だったのでしょう。
ある不登校の高校生がこんな話をしてくれました。昔の人の平均寿命が短かかったのはなぜかなあと思ってたけど、ようやくわかった。すべてのことがわかってしまったから、もう死んでもよかったんだと。彼は、カーテンを閉めた自室にこもってロックをガンガンならし、光と世間を遮断して哲学者、宗教家になっていたのでした。
このような事態に遭遇すると大人は「食べ物をなんてことするの!」と言ってしまったり、「何を馬鹿なこと言ってるの」と一笑に付してしまいがちです。社会の常識やルールを身に付け、こどもっぽい考え方を卒業していくことが成長するということですから、そういう接し方が間違っているわけではありません。ただ、子どもの躾や教育は「子どもの宇宙」を壊すことにもなる、と知っておくべきでしょう。
学校や家庭で「こどもの宇宙」をもっと大切にできるといいですね。「なんてことするの!」をぐっとこらえて、一緒に葉をめくりながら、二人でキャベツの仕組みに思いを馳せるのはどうでしょう。「何を馬鹿なこと」と思わず、死とはなにかと話し合うのはどうでしょうか。それはもう宗教的会話です。
躾や教育に「宇宙」的な視点を忘れないようにしたいものです。そのことで、忘れていた「宇宙」を、大人もきっと思い出せるはずです。